最近、自分の中でのはやりをブログタイトルにしてみた

はじめまして。

 

個人的には、何年かぶりにブログを再開することになるのですが、、、
よし書こうって思うようになった背景には、最近、人生(生活)が大きく変化してきたっていうことがあります。

でも、なんで書きたいのか?っていうところは、そんなに深いものはなく、自分が参考になったことを、他の誰かの役に立てばいいかなと思っています。

 

最近「覚悟」っていう言葉が好きです

ブログのタイトルは、説明しなくとも分かる人には分かる、って感じですが、「暗闇の荒野に〜」っていうジョルノの台詞にしようか迷いました。
でも長いから却下しました。

 

「生きる覚悟」みたいなのって皆さんお持ちですかね? 

「〜なりたい」とか「〜したい」とかいう強い想いがベースにあって、「そのためにいま何かをする」みたいなもので、自分の人生に責任をもって、自分の判断で生きていくっていう感じ。

たぶん、激しい競争にさらされているスポーツ選手の多くや貧しい地域の子供たちはそういうのがあるんじゃないかと思っていて、一方で受験をフルにやって大学行って社会人っていう自分にはそこまでのものはなかったです。

 

でも、仕事でダメな上司達に苦しめられて、この「覚悟を持つ」という感覚を会得することができました。

 

多くの人がこの言葉に惑わされます。

「他責にするな、自責で考えろ」

いわく、上司の文句を言うのではなく、そもそもお前に原因があるんだから、まずはそこを変えろ、ということらしいです。

 

あぁ、この言葉に苦しめられて電車に飛び込んだ人が何人いるだろうか?

 

この日本人の歪んだ「自責観」は、(ちょっと飛躍するけど)体罰・しごきを正当化する時の発想と同じで、私に言わせれば「それは自分の心を防御するために、全力で自分を納得させているにすぎない」のです。

 

そうじゃない!

 

「自責」とは、自分の行動に責任を持ち、その後の結果までをすべて受け入れること。

 

私はそう理解しています。特に後半部分が重要です。

 

アホな上司が自分を気に入らず登用されないのなら、監督の戦術にマッチせずにベンチに入れないスポーツ選手が、自分が活躍できる他のチームにあっさり移籍するかのように、自分で外に仕事を求め、信頼を得、ポジションを獲得するんです。(つまり私はそうしたんです)

相手に原因を求め、他の環境に行くことは別に悪いことじゃないし、「他責」でもない。
むしろ行動を起こさず、無理に自分を納得させて甘んじる方が「他責」な生き方になってしまっていると思う。

 

結果を自分で受け止める「覚悟」を持つ。

「自分で責任をとる」ってそういうことなんじゃないかと思います。

先の歪んだ自責観のように「自分に原因がある」って思うことが「自責」ではないです。
いや、自分に責任があるって思ってもいいんですが、それでひたすら我慢した先に何がおこるか。たいてい受け入れられなくなって壊れるんですよ。やはりそれは「自責」の行動ではないのかなと思います。

 

ブチャラティが、(ギャングの下部組織のリーダーである)自分の部下に言うんですよ。
これからボスを倒すぞ、お前ら覚悟はできてるかと。
この先死ぬかもしれないが、オレはそれを受け入れる覚悟はできている、と。

 

決して悲壮ではない、生きるための、未来を切り開くための覚悟。

 

自分が、苦しい仕事環境にさらされ、自分と家族を守るぞと覚悟を決めて行動をとった時、「あぁ、この言葉はこういうことなんだな」とようやく心から理解できました。

 

ブログのこれから

という訳で、こんなタイトルにしたのですが、別に重苦しいことばかりを書こうとは思っていません。

むしろ、この「覚悟」の感覚を身につけつつある今、もう一度自分の得意分野や本流に戻って、自分の人生でやりたいことをやろうと、明るく楽しくなっているところです。

日々発見したこと、それが他の誰かがネットで検索したときに役に立てばいいなと思って、いろいろ書いていきたいと思います。

 

次回の予告は、

「俺のひげ剃りシェーバーでソファーの毛玉がツルンツルン!」です。

タイトルの通りです。マジで毛玉がきれいに取れます!(笑)

 

では。